ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「永遠のマリア・カラス」にみるアーティストとしての誠実

DVD「永遠のマリア・カラス」を観た。
映画としての感想は、『覚え書き』 でも
述べているけれど、この映画に描かれたマリア・カラスの姿から
私は、どうしても“吉井和哉”という一人のアーティストの生き方を
考え合わせて仕舞ったので、ここに書いてみる。
彼女が『本名マリア・カロゲロプーロス が嫌いで
マリア・カラスに為ろうとした。普通の女に為れていれば良かったのに。
ごく普通の人間として、平凡に生きられたものを。
犠牲を払って、ほんのつかの間、栄光を手に入れた。』
そう、語るシーンで、つい先日YOSHIIさんがラジオで語ったという
『THE YELOW MONKEYを休止してから“吉井和哉”という名前は
一度も使っていない。普通の一人の人間に戻りたかった。
戸籍には、表記が残っているが現在日常生活では、別の漢字を使っている。
アーティスト名は、Yoshii Lovinsonにしているのだ。』と
いう言葉が連想された。
髪の色や形を様々に変え、時には濃いメークも施し華やかな
衣装に眩いライトを浴びて、ステージ上で歌い踊り咲き誇る
ロック・スターであったTHE YELOW MONKEYの“吉井和哉”という
存在。長年活動する中で、内側に溜まっていったモノを
真摯に見つめ、彼の理想の音楽の未来の為にバンド休止を決めた
その厳しい決断は、マリアが映画「カルメン」を撮影中の場面で
『カラスと仕事するなら、昼夜ぶっ通しでやるのよ。』と、
周囲にも完璧を目指す芸術至上主義の信念を垣間見る事が
出来る様に思う。
マリアは、演技としては完璧でもその歌声が作り物でしかない作品を
世に出す事はどうしても認められず、映画「カルメン」を
破棄するよう求める。
彼女の芸術者としての誇りが許さなかったのだ。
世紀の歌姫としての全盛期は短かったとしても、彼女の
『私のオペラ人生は、幻想ではなかった。真実だった。』
あの言葉は重い。
YOSHIIさんは、そのラジオの中で
『2001年1月8日の東京ドームのコンサートを
スプリングツアーDVDも監督した人にちゃんと編集して貰って観た』と
話しているのだけれど、その作品がまだ世に出ていないという事は、
YOSHIIさんの中で納得出来ていない何かがあるのではないか、と
感じている。
バンドだから成せる技とソロだから活かせる可能性・・・
YOSHIIさんは、今本当に自由な場所に立っているのだと思う。
マリアが華やかなオペラという舞台よりも愛を選び、
そしてその愛に破れ自分の“声”という宝を喪って仕舞った時、
彼女には酒と煙草と薬物、そして過去愛した男達の写真と
昔のレコードしか残されてはいなかったけれど、
YOSHIIさんには、この37歳というまだ充分に未来を求められる
年齢で、彼にしか表現出来ない音楽を創る“才能と声”が
“未来”がある事を本当に嬉しく思う。
純粋に映画を鑑賞するという見方を思いっきり逸脱しているとは
思うけれど、映画の中の才能を枯らした老いたマリアの姿や
彼女の晩年を救う事が出来なかったという悔いと時が経ても変わらず
彼女へ抱く親愛の情がこの映画を創らせたんだろうなと
思わされるゼフィレッリ監督の、この映画を通して伝わって来る
思いが、芸術というものの厳しさ、神に愛される事の眩さと儚さ、
ミューズの神に向かってか弱い人間達が懸命に手をさし伸ばしている
そういう姿が、心底美しいと思って仕舞うのだ。