ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

人が越えようとするとき「峠」が生まれる

今朝、「めざまし調査隊」で「峠」について放送していた。
「峠」とは、日本で生まれた漢字で、通行者が道祖神
手向けをする「手向け」が語源だという。
山の頂上ではなく、人が山を越えて向こうへ歩いて行く時、
登り(上り)きってその後は下りになるその境を「峠」と呼ぶそうだ。
私は、今までただ漠然と「峠とは山道の一番高い所」だと思っていた。
THE YELLOW MONKEYの『8』が出てから、「峠」という曲に
これ程まで心酔して来たというのに、肝心の「峠」の意味を
今まで理解していなかったとは、恥ずかしい。
ともあれ、この山がただそこに在るだけでは「峠」は存在しない。
人が歩いて行こうとする、その時に「峠」が出来る、という事が
とても印象深かった。
『8』発売当時、吉井和哉が「“峠”に描かれる情景は、
永井豪の『バイオレンスジャック2巻の最終頁のイメージだ。』と
語っていて、私は当時慌ててバイオレンスジャックの1巻と2巻だけ
読んだものだ。巨大地震により壊滅し外界から閉ざされ、
無法地帯と化し、何もかもが破壊された荒野・・・当時も
その荒涼とした大地のイメージは掴めていたと思う。
けれど、最近突然私の中で蘇った「永井豪ブーム」のお陰で、
「凄ノ王伝説」「デビルマン」「デビルマンレデイ」
バイオレンスジャック」読破を達成する事が出来て、
改めて「峠」の凄さが判った気がした。
3年前「バイオレンスジャック」1,2巻に初めて出会った時私は、
あまりのバイオレンス描写にたじろぎ、また完全版で全18巻という
量に気後れしていたのだけれど、今回読み始めてみると、
この作品は、暴力とエロスに彩られてはいるものの、
権力、暴力、性と生・・・様々な人間の赤裸々な欲望と戦う
人類の愛と希望の物語だったのだと思う。
愛する人不動明デビルマンを欺き我が手で殺して仕舞った
飛鳥了ルシファー=サタンの哀しみ、スラムキングの絶望の深さが
痛ましかった。
けれど、弱いながらも逞しくひたむきに生きる為に戦い続けた人間達の
精神エネルギーの高まりが、デビルマンバイオレンスジャックに力を与える。
光と闇が激突し、戦いの最後に漸く
安らぎを得たサタンの表情が言いようも無く美しい。
夢枕獏があとがきの中で『「デビルマン」になくて「バイオレンス
ジャック」にあるものは、“癒し”である』と書いておられるが、
私は「希望」の光の方を多く感じた。
突然ここで「峠」に戻るのだけれど、
“狂気の中でも虹は出ていたから”
“次の峠まで歩いて行かなきゃ 延々”
“あふれてきたのは愛と呼べるのさ”
この曲をもう一度あのメンバーの演奏で見たい。
私の“希望”だ。
きっといつか必ず、そう信じることが今の私の力になっている。