ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

PLAYERインタヴュー

『ソロ・シンガーには全然憧れてない。ずっとバンドをやりたい』
「WHITE ROOM」を聴いて感じられた通り、YOSHIIはこのPLAYER誌の
インタヴューでもはっきりと「バンド志向」を答えていた。
「WHITE ROOM」のアルバムレコーディングでは、JUSTIN(b)とVICTOR(ds)、PAUL(b)、JOSH(ds)、古い付き合いの“ZZ”KANZAWA(MONKEY時ギタークルー)、
そして“EMMARSON”KIKUCHI、彼らがYOSHIIのイメージする音を出し
作り上げ、つい先日決定したというライヴ・メンバーがYOSHIIの
『イメージするおもしろいオトナのバンド』でツアーに臨むのだという。
『なんで(EMMAに)手伝って貰ったんですか?』との質問への答えは
『ANNIEやHEESEYに手伝ってもらおうとすると、彼らのやりたい音楽と
俺が今やりたい音楽はやっぱ違うと思う。』だという。
その事よりも私が最も衝撃を受けたのは、THE YELLOW MONKEY
どんなロックバンドだったと言えるのか?と聞かれて、
『年齢を重ねてミュージシャンとして成長していこうとした時に
「じゃあ基本的なことはできますか」と問われて
「出来ます!」と断言出来ないこともあった』と答えた箇所だ。
『最後の「8」にプロデューサーを付けた事が象徴している』とYOSHIIは
言う。
シングル「バラ色の日々」や「聖なる海とサンシャイン」は、
プロデューサーが付いたいわゆる「チャレンジャーシリーズ」だったけれど、「8」はセルフプロデュースかと思ってた。
それよりも何よりも「バラ色の日々」から「SHOCK HEART」の頃、
THE YELLOW MONKEYが活動休止を決断するまでの期間というのは、
「基本的な事がどうのこうの」と言うよりは、YOSHIIの
THE YELLOW MONKEYの中での寿命が燃え尽きようとして、
それでも懸命に糸口を探して足掻いていた時期だと思う。
この前のbridgeインタヴューに続いて今回のPlayer誌でも
『最後の「JAM」でミラクルは起こらなかった』とYOSHIIは発言した
けれど、YOSHIIがあの時「奇跡」を願った気持ちがありえないとは
言わないけれど、それは相当無理に違いないと感じて仕舞う。
あの空間での「JAM」の音、会場全体で歌ったあの歌詞、あの熱・・・
『魔法は起こらなかった』けれどあの曲のパワーは本物だった。
だから、もう『もしあの時ミラクルが起きていれば・・・』等と言う発言は、止めて欲しい。
その言葉を聴くのは本当に辛いのだから。
もう良いじゃないですか。
YOSHIIが命を賭けたバンド=THE YELLOW MONKEYを切り離す事は
無理なのだろうけれど、もっと自由に為って欲しい。
「YOSHIIが解散させた張本人だ」とか責めたりしませんよ。
THE YELLOW MONKEYがあったからこそ今のYOSHII LOVINSONがある。
『ミュージシャンとして正しくありたい』という今のYOSHII LOVINSON
理想とするミュージシャン道を極めて行って欲しい。