ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

バラ色の日々

大阪城ホールでのあの「バラ色の日々」の事をまとめて置こうと思う。
LIVE本編中に『当日券800枚売れ残った。後悔させてやるくらい良いLIVEにしよう!』って
吉井は言っていたし、ツアーファイナル大阪城ホールでは、サプライズがあると
武道館2DAYSが終わった頃にはもう話しに出ていたらしいけれど、
あの日あの時「バラ色の日々」を演った事は、只の吉井の気まぐれだったとは私には思えない。
「バラ色の日々」演奏の最終決定がいつ為されたのかは判らないけれど、
吉井和哉がTHE YELLOW MONKEYの曲を歌うとは、
そんな生半可な事では決して無かっただろう。
未だに熱烈にTHE YELLOW MONKEYを愛し続けるファン、
解散を受け入れられずにいるファン、
再結成を願うファン、大阪城に集うファン、当日来れなかったファン、
彼等が「吉井和哉」ツアーで演奏される「バラ色の日々」をどう受け入れるか、
どのような反響を巻き起こすか、吉井にはある程度は予想がついていたんじゃないかと思う。
それでも吉井は、『カヴァーやろうか。内緒だよ。』と
あのフレーズを歌い出した。
KYのLIVEレポでは、『冒頭のメロディーで明らかに泣いているのかなと思うような声だった』と
書かれていた。
けれど私の記憶の中では、吉井はとても力強く伸びやかに歌っていた。
ぶわぁっと涙が込み上げて来たけれど、私は慌てて涙を拭いて、
楽しそうに気持ちよさそうに歌う吉井に見蕩れていた。
華麗なエマのギターに聴き惚れていた。
『歌え、大阪〜!』に懸命に応えようとした。
『Beautiful!』と掛けて貰えた声が本当に嬉しくて
“(長い鎖に繋がれても)→長い鎖を引きちぎっても
明日は明日の風の中を飛ぼうと決めた”
そっかあ、吉井は引きちぎったのかぁと感慨深く、
そして、あのメカラウロコ8の大阪ドームや東京ドームでは
“I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE”と
繰り返されたフレーズが、ちゃんと
“I WANT POWER I WANT FLOWERS
I WANT A FUTURE I WANT PLEASURE”と歌われた事に安堵したり、
“I'M JUST A DREAMER”と胸を張る吉井の歌声の力強さ・艶やかさが
熱く胸に迫って来た。
最初、とうとう吉井は THE YELLOW MONKEYを歌ったのだと、
その衝撃の大きさにノックアウトされていたのが、途中からもう
『バラ色の日々』という曲に呑み込まれていた。
あれは、THE YELLOW MONKEYの『バラ色の日々』だったから
感動したんじゃない。曲そのものに感動したんじゃないかと今は思う。
曲に新しい命が吹き込まれた瞬間だったのじゃないかと思う。
曲の命とは、演奏されてこそ、歌われてこそのものではないかと私は思う。
吉井は、かつて「Black Cock's Horse」の中で“俺の歌 君のものじゃないぜ”と歌った。
けれど、吉井和哉が作った曲は、発表した時点で彼の手を離れ、
彼の曲をLIVEを受け入れる側のものでもあるのじゃないかな。
『バラ色の日々』だけじゃない、他のTHE YELLOW MONKEYの
曲たちの命も甦らせてやって欲しい。
埋もれてしまうには惜し過ぎる曲が一杯だ!

THE YELLOW MONKEY公式サイトBBSが閉鎖された2004年12月28日、
吉井和哉は『これからもあなたが好きな歌をずっと歌い続けててください。
15年間本当にどうもありがとう・・・』と「JAM」の歌詞を引用しつつメッセージを寄せていた。
メカラウロコ15で最後に「JAM」をメンバーで演奏し『ずっと歌っててください』と一言残した
その意味を私達に語ってくれたのだ。
思い起こせば98年10月岡山での「このツアーは失敗でした」発言やら何やら、
吉井の言動にはファンに正しく彼の真意が伝わらない事が多いようだ。
私達ファンの側が吉井に過剰な情念をぶつけ過ぎている所為なのかもしれないけれど。
もっと自由に羽ばたいて貰いたいけれど、でも、吉井和哉という人は、もう
鎖やら重荷やらずっしり重い諸々を背負って足掻いて、それでも浮かび上がろうとする歌を
歌うところでこの上なく光る人だと私は思うので、どんどん突き詰めて行って欲しいと思う。
歌い続けてさえ下されば、それ以上何も文句などありません!