ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

bridgeを読んで

bridge最新号を読んだ。
2006年2月24日吉井和哉が7年振りに「帰って来た」武道館ライブを
井上貴子さんと兵庫慎司さんのお二人がレヴューを載せておられた。
今期からbridge編集部へと現場復帰なさった井上貴子さんの
THE YELLOW MONKEYデビュー前からずっと吉井和哉を見てこられた方ならではの、
吉井が今現在奏でようとしているロックの変化と意気込みを
『静かで、力強い、2度目の産声』と表現された事に、
流石!と感動を覚えた。
bridge編集部でこれからも、みっちり吉井和哉に迫って頂きたい。
兵庫慎司さんのレヴューは、これはいつも感じる事だけど、
兵庫さんの文章は、私自身が感じていた思いを的確に表現しておられて、
今回も『リミッターを外して・・・』のくだりが「その通り!」と
大いに納得した。
『ブレーキはなくなった。』という記述が嬉しかった。
兵庫さんはJAPAN編集部へ異動だそうで、引き続き期待してます。

その他の記事で興味深かったのは、デビュー25周年・二代目サポートバンド
結成10周年記念全国ツアーを行った佐野元春への渋谷陽一インタヴューだ。
佐野さんは、これまで往年のヒット曲もライブでは必ず同時代サウンドでの
アレンジだったそうだけれど、今回のツアーでは、
ほぼ原曲どおりのアレンジで演奏されたのだという。
何故か?最初のサポートバンドだったハートランドが16年続き解散した。
その事を非常に尊重しているからその次に組んだ
ザ・ホーボーキング・バンドでは、
ハートランドのアレンジでやりたくなかった。
けれど現在のバンドも10周年を迎え「独自の音」という
自信を得られたからこそ、
今再び原曲のアレンジでライブを行えるのだという。
佐野元春という人は、
『自分で詞も曲も書き、アレンジもプロデュースも』やる人
だけれど、その人をして『僕の曲というよりは、
この20数年間のファンの曲という気持ちで演奏』なのだそうだ。
『オーディエンスからどよめき』という記述があったけれど、
その光景が目に浮かぶ気がする。ファンもその曲自体も幸せだね。

あの大阪城ホールから5週間も経ったのに、
未だにあの「バラ色の日々」に拘る私は、
限定Tシャツ『しつこいぞ』そのものだろうが、言わせていただく。
曲の命は、歌われてこそ演奏されてこそのものだ。
THE YELLOW MONKEYの曲を封印しないで欲しい。
THE YELLOW MONKEYだろうがYOSHII LOVINSONだろうが
吉井和哉名義だろうが、
あなたが歌いたい時に歌いたい歌を歌って下さい。
それが願いだ。

非常に遅い話題だけれど、KYのQ&Aコーナーで大反響を巻き起こした
吉井和哉の質問返し
『僕が何をしたらファンやめますか?』について。
最初あの吉井の質問を目にした時
『この人はまた何を言い出すんだろうか?』と思った。
何か新しい事をやろうとしていてファンの反応が怖いとか?
『大丈夫ですよ〜。何があっても付いて行きますから。(はぁと)』
というレスを期待しているんだろうか、
とも思ったり。でもそれは流石に考え過ぎだろう。
キレの良いアンサーを狙ったのかも知れないし、
シンプルに興味があったのかも知れないし。
お陰で結構真面目に「ファンとは、そもそも何だろう?」と考えてもみた。
うちのBBSで『万が一吉井本人にファンをやめろと言われたら、
その場は「ハイ」と答えても、こっそり
ファンであり続けるだろう』とかいう意見が出て、私も同感!だったし、
『”ファン”となると、やはり”私”が、
ファンとして存在することを本人に許されていないといけない気がする』と
仰った方がいて、それはとても大きな事だなあとも思ったりもした。
たとえ吉井和哉が音楽界を去ったとしても、
吉井和哉が生み出した音楽が好きな私は、
吉井和哉のファンであり続けるだろう。
音楽をやらない素の吉井和哉を好きで居続けるかどうかは、
また別の話だ。
万一の場合・・・そんな事は起りっこないと信じているが・・・
私の心が吉井から離れる危険があるとすれば、
吉井和哉が音楽への誠意を失う時
かもしれない。
THE YELLOW MONKEYの休止から解散への流れで彼が辿った険しい道は、
彼の音楽への誠実さと愛情の深さゆえと思っているので、
吉井のそのストイックまでな姿勢が「安易な妥協」へと変貌したら、
そういう匂いを少しでも感じたら幻滅するだろう。
1曲や2曲、私の嗜好とちょっと違った路線で来ても、次に期待するので
全然心配はしません。『曲作り中』だという新曲が楽しみでならない。
呑み週間終わったらバリバリお仕事して下さいね!