ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

Walkin' In Sunshine

渋谷La.mama25周年記念本を取り寄せた。
20周年記念本は、とっても小さかったから、
今回のは、大判でカラーページも多く、しかも巻末に
1982年5月から現在2007年4月末日までのスケジュールが
収められているのが嬉しい。
1989年12月28日The Yellow Monkeyの文字を確かめた。
この25周年号に寄せられた菊地英昭のメッセージは、
ラママの客席にある柱についてだった。
『最初は不器用な歌歌い、楽器弾き等が自信や勇気を得ていく
こともできたのかな?』っていう箇所では、ヴォーカルに転向した
ばかりの吉井和哉の姿を連想した。
『緊張して気恥ずかしい時』そのラママの柱は、じっと
吉井の視線を受け止めていたのだろうね。
エマさんが『La.mama何周年!といった時、コメントで必ずと言っていいほど
柱のことを取り上げて来た』と仰っているので確かめてみた。
1992年の10周年本では、初めてLa.mamaでライブをしたのは、
キラーメイの時で、ちょうどエアロスミス日本公演とぶつかっていたので、
ライブをぶっ飛ばして武道館へ行こうと本気で考えていた。
その為ライブのメニューにエアロスミスの曲が2曲入って仕舞ったと
書かれている。
ラママの印象は、『狭い楽屋に、鍵の掛からないトイレ、おまけに
上手側の床が凹んでいて』驚いたのだとか。
20周年本では、La.mamaでライブをする場合での、
ブッキング、客席、楽屋そしてステージに待ち受ける様々な
ハードルやら飛び箱のお話。
『LIVEをしているという実感』という表現が
何だかとてもリアルに感じられて印象深かった。

吉井和哉のメッセージで心に残っているのは、
20周年本に寄せられた
『ライブ盛り上げまくって、飲みまくって、
“オレは生きてる、絶対に夢を掴んでやる”って
ゲロを吐くのも男のロマンさ、、、。
 道玄坂の朝日をオレはいつまでも忘れないね。』だ。
THE YELLOW MONKEYのファーストアルバム
「THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE」の最終曲
「Walkin' In Sunshine」が浮かんで来た。
いつか日のあたる世界にって夢ばかり膨らませた“ドブネズミ”達と言えば
言葉は悪いだろうけれど、夜の匂いこそが似合うバンドマン達の姿が
目に浮かぶ。
10周年本に吉井は『ロックバンドとは、無限の可能性と無恥の美学と
無用のモラルで成り立つ暴君団体だと、僕は思っています』と
書いている。
吉井本人も言っているように、そういう『パラノイア』達を
発掘し、支え、育て上げて来たライブハウスLa.mama
心から感謝です!