ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「バッカ」PV考

「バッカ」PVに描かれた「銀河鉄道の夜」の意味をずっと考えている。
銀河鉄道の夜」は、孤独な少年ジョバンニが
唯一心を寄せたカンパネルラと不思議な銀河鉄道の夜を旅する話だけれど、
それは、作者宮沢賢治が最も大切に想い続けた亡き妹としを偲んだ
樺太鉄道の旅が元に為って出来たのだそうだ。
クリスマスの夜、ひとり居酒屋で酒を飲み、街を彷徨う孤独なサラリーマン
吉井和哉が恋い求めるのは、自分自身が思い描く理想の幸せのかたち
(それが自身の幼少時のものか現在のものかは不明だが)の幻影なのだろうか。
ビルの壁に映し出されたご両親に抱かれた赤ん坊の頃の
吉井和哉の映像に胸が熱くなった。
一番最初にもろにそれを感じたのは、THE YELLOW MONKEY「FATHER」だった。
その後ソロ活動を開始してからも、「SWEET CANDY RAIN」や
「CALIFORNIAN RIDER」など、亡き父への思慕を強く感じさせられる曲があった。
DVDの中で『父に逢いたくて静岡の用宗海岸に行く』という発言もあった。
吉井和哉が「父」を想う時その時は、きっと物心ついて父に甘えた幼少の頃、
父を失った5歳の頃に戻って仕舞うのかもしれない。
その渇望感は、成長して仕事や地位やその他も成功した今現在に為っても、
決して消える事は、ないのだろうな、と、そんな気がしている。
「SWEET CANDY RAIN」PVが発表された時に自分が受け取った
『喪失を受容せよ。』という言葉を
もう一度噛み締めようと思った。

発売予定が延期されて、もしかしたら年内には出ないんじゃなかろうかと
案じていた吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」は、どうやら
今年中には、出版されるらしい。
やっぱり怖いもんは怖い!(^_^;)
確かに、吉井和哉の原点は、その「父親からの愛」が失われた事に
あるに違いないだろうが、それを言ったら自分自身は、どうなのか。
その事を自伝で赤裸々に話す事は出来るのか?
それを暴いて心を痛める人は出ないのだろうか?
この問題に拘り過ぎる私は、愚かなのだろうと思う。
けれど、人の世の「愛」を探し続ける事を
永遠の使命として与えられた人間=吉井和哉なのだとすれば、
『失われた愛』なんていう、そんな受動的な言葉じゃなくて、
どんな過酷な試練や孤独も一身に引き受けて
凛々しく立っていて欲しいと思うのだ。

なぜこの「バッカ」PVに「JAM」のモチーフが使われているのか?
「JAM」では、
“こんな夜は 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて
 君に逢いたくて 君に逢いたくて
 また明日を待ってる ”
と歌われている。
身を刺すような深い孤独の夜に愛する人を一心に想う
そのひたむきさは、
“音楽を軸に回るオレのLIFE
 この星の思い出を歌に”
残す為に
聖夜に独り「愛」を歌うその想いの強さに繋がっているのだと思う。
最後に伝えたいのは
『I LOVE YOU』だよね!?