ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

BLOWN UP CHILDREN

2006年1月25日Zepp 名古屋「My Foolish Heartツアー」初日で、
「BLOWN UP CHILDREN」が演奏されてから2年経つ。
あの時吉井和哉は、『この曲には沢山のTAKEがあります。
少しづつ披露していこうかなと思っています。』 とMCをしていた。
DVDにも収められているけれど、この曲の元になった
「RED LEAVES」を吉井は、何度も何度も録り直していたんだよね。
聴いてみたいなあ。
勿論この「BLOWN UP CHILDREN」も私は、本当に大好きだ。
「土の上 砂の上・・・」という韻の繰り返しが
「愛の飢え」になりやがて「COME BACK TO MY WAY」に至る鮮やかさ。

“僕らはBLOWN UP CHILDREN ただ走るBLOWN UP CHILDREN
 見えない山脈に雨は降って
 僕らはBLOWN UP CHILDREN ただ生きるBLOWN UP CHILDREN
 時の谷間でなんか飲んで”

漕ぎ出された自転車のスピードがやがて風になり
地上を離れ山々を吹き渡っていく情景が目に浮かぶようだ。
「BLOWN UP CHILDREN」とは、本当はどういう意味なのかを
私は、きっと把握出来てはいないのだろうけれど、
この歌を聴くと遠い昔を思い出す。
傷つき弾けそうになったまま足掻いていた子供時代や、
何年も経って急にエアポケットに入り込んだ時の事を。
この歌を作ってくれてありがとう。
そして今またこの歌を歌ってくれてありがとう。

22日アンコールでの「Black Cock's Horse」で吉井は、
“俺の歌は 君のもの?君のものじゃ無いぜぇ〜”
と変えて歌っていた。
確かに吉井和哉が作って吉井和哉が歌う曲は、
吉井和哉のものだろう。
けれど、世に発表された歌は、その瞬間から、
アンテナにキャッチした受け取る側の人間の歌にしたって良いじゃない。
1月23日に更新された「お茶菓子のようなもの」は、
『喜びの量は変わらない。感じ方の量が変わるだけ。』だった。
最近の吉井和哉のお言葉は、深過ぎてどうも私などには、
理解しきれないけれども、7年前THE YELLOW MONKEYが活動休止した頃、
THE YELLOW MONKEYの新しい音楽が届かない間、
アンテナを錆びつかせないようにしていよう。
今度彼らが帰って来る時に、ちゃんと
キャッチ出来る感度を磨いておこう!』と
心に誓った事を思い出した。
未だに大人に為りきれないオトナコドモだけれども、
吉井和哉の音楽に対する感度は、保てているかな?
『「これは愛だ」と「あなたのため」と』
『馴れ馴れしく語りかける』ような、
そんな押し付けの愛情ではなくて、
想うだけで心が豊かに為れる様な、そういう愛し方をしたい。