ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

好みの問題

今朝更新された「お茶菓子のような一言」は、
『どんな目にあっても女好きは治らない。春だね。』だった。
吉井和哉が女性なしでいられない人だということは、
自伝を読んでよーく判ったけれども、
「女好き」という、そんな女性を軽く扱うかのような表現を
とって欲しくないと思った。
たとえば、「色好み」とかどうだろう。粋じゃないか!
大辞林によれば、「色好み」とは、
『恋愛の情趣をよくわきまえ、洗練された恋愛ができる人。』だそうだ。
自分自身の人生そのものを、喜怒哀楽を、性愛の陰影を色濃く
映し出した楽曲で歌い表現する吉井和哉であるならば、
どんどん好きにやりゃあ良い。
快楽を追及すれば良い。
女性たちを快楽で鳴かせてあげれば良い。
愛した者たちを悲しみに泣かせては駄目だ。
きっと、ひと所には落ち着け無い人なのだろうなあ。
『花から花へ』飛んでいく人なのだろうね。
一瞬の輝きだからこその美しさと快楽を享受して、
切なさに酔い痴れて、一層孤独の痛みに耐えて、
また新しい花を探しに行くのだろうか。
難儀な事だ。

「BLOWN UP CHILDREN」の
土の上 砂の上 石の上 道の上
地球の上 希望の上 君の上 愛の飢え
 のメロディーを思い浮かべた。

『愛の飢え』を理由にするの?

「花と蝶」作詞 川内康範
「花と蝶」歌詞

私自身「BLOWN UP CHILDREN」に近い存在だと思うのだけれど、
私だったら
他の誰にも見向いて貰えずとも
誰か独りだけの「花」でありたい。
私だけの「蝶」に誠を尽くしたい。