ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「LOVE&PEACE」PV

LOVE&PEACE

LOVE&PEACE

LOVE&PEACE」のPVを観た。
うちの地方は、「ジャパンカウントダウン」が放送されていないし、
ラジオでも「LOVE&PEACE」を聴く事が出来なかったしで、
この曲をちゃんと聴くのは、昨年の武道館以来だった。
あの時は、「アシッドウーマン」も「オジギソウ」も、
善哉ツアー時よりも更にパワーアップされて響いて来たし、
初披露「リバティーン」は、イントロからし
「VERMILIONHANDS」を彷彿させた格好イイ衝撃作だったし、
「アクロスザユニバース」吉井和哉訳、
そしてTHE YELLOW MONKEYの名曲「Four Seasons」と
「シルクスカーフに帽子のマダム」更に、
「東京ヴギウギ〜アバンギャルドで行こうよ」まで
飛び出した衝撃で、正直、ラストに演奏された
LOVE&PEACE」を落ち着いて受け入れる心のゆとりが無かった。
雑誌のインタヴュー記事で歌詞について
語られているのを見ても、頭では理解していたつもりに
なってはいても、まだそれ程までには、グッと
来ている訳では無かった。
けれど今朝このPVを見る事が出来て、
ようやく、これは本当に凄いものなのだと悟った。
このギターの音、吉井和哉が奏でている音なのだ。
このドラムも?

ベットに腰掛けてギターを弾く姿。
くるくる踊るバレリーナ
古いテレビ。
テレビの画面に映る外国の人々。
戦争。肉を食む獣。雑踏。
大きく映し出される瞳。
天体望遠鏡を覗き込む吉井和哉
様々なモチーフがTHE YELLOW MONKEY時代の
「LOVE COMMUNICATION」「楽園」「球根」
「BURN」「バラ色の日々」という曲達を
思い出させた。
これらの曲達を作り歌って来た吉井和哉自身の人生を
今現在の吉井和哉がレンズを通して
振り返っているかのように感じた。
(あくまでも、私個人が勝手に抱いた印象なので、
PVの意図は、全く違うものかもしれません。
どうぞ気を悪くなさらないで下さい。)
最後の明け方の空に陽が差し込んで輝く情景が
本当に素敵だった。
美しく力強い曲だ。
今現在一番好きな曲に為った。
新曲が今までで一番好きだと思えるって
何て素晴らしい事だろう!
ありがとう、吉井和哉

追記
2009年12月28日武道館公演で吉井和哉が、
『FALLIN' FALLIN'』を歌った際に、
“名前なんて無いさ 石田五郎って 良い名前だねぇ〜”と
発した事があって、当時その石田五郎について調べた私は、
小惑星に「石田五郎」と命名されたものがあること、
そしてその名前の元となった石田五郎と仰る方は、
長く岡山天文台に勤務され「天文台日記」という書物を
残されているのだと知った。
この「天文台日記」は、
『一九七*年一月一日快晴 元日・セレスの発見
せまい分光器の観測室内で夜明けをむかえる。
露出計(モニター)の目盛りを照らす小さいランプ以外、
すべてのあかりを消した暗い室内で、ひとり椅子にすわり
ファインダーの視野の監視をつづけていたが・・・』
という文章で始まり
『十二月三十一日快晴 日はすぎ去りて……
・・・・・・
レ・ジュール、サン・ヴォン、ジュ・ドムール 
日はすぎ去りて、とどまるはわれ』という言葉で
締めくくられている。
LOVE&PEACE」PVを見て、この「天文台日記」も
思い浮かべた。
「あとがき」の中で、『研究者のそれぞれが「私の星」を
もっており、その星のイメージをいつも胸の中にあたためている。
観測―この「私の星」との対話の時には、研究者は
つねに孤独である。己を空しくして、「私の星」の
問いかけを最大限に聞く・・・』と書かれている。
LOVE&PEACE」PVの中で天体望遠鏡を覗き込む吉井和哉
観測しているのは、この我々が住まう地球という星であり、
同時に生命を燃やし輝き続ける「吉井和哉」という
存在そのものでもあるのだろうと思った。