あの衝撃的なニューヨークテロ事件からちょうど一年、
世界貿易センタービル付近が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれているという。
今朝のテレビ番組で見たのだけれど、この「グラウンド・ゼロ」とは、
元々は核で何もかもが焼け野原になってしまった、という意味で使われる
スラングなのだそうだ。それが、事件後アメリカのメディアが、
「核爆弾のような惨状」と表現し、一般にも「爆心地」という意味合いで
「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになったという。
番組では、広島、長崎への原爆投下時の軍のデザインを模した帽子が
紹介されていた。
テロ再発防止の為に警備に当たっている人々が、あの帽子を被っているらしい。
それは、何か違うのじゃないかと感じた。
3000人近くの犠牲者や遺族の方々は、本当に気の毒だと思う。
今だ傷跡が生々しく残る近辺地域の方のご苦労も察する事が出来る。
けれど、戦争の名の元に原爆を落とされて文字通り地獄絵図と化した、
広島、長崎の惨状と戦後57年経って今尚原爆症で苦しんでいる人が大勢ある事を、
かの国の人々は知っているのだろうか。
いやそれ以上に、「原爆投下は戦争早期終結にプラスになった。誇るべき事。」位に
考える風潮が在るのではなかろうか。
テロ直後のブッシュ大統領の「報復」発言にも、私は強い違和感を感じた。
今尚、紛争は終わる事なく、無残な自爆テロも続いている。
我々は唯一の戦争による被爆国民である。
それなのに、アメリカメディアと一緒になって、「グラウンド・ゼロ」等と
言っていて良いのだろうか。
戦争反対、核兵器廃絶をもっと強くアピールすべきなのではなかろうか。
昨年、テロが起こった時、私の脳裏にはずっと、THE YELLOW MONKEYの
「球根」が鳴っていた。今日も私はこの歌を聴く。
「球根」と英語バージョンの「BULB」が心に響く。
混沌の中に生まれた希望の歌だ。
「BULB」の訳詞の最後の部分、
“そこから何が生まれるだろう?俺達に・・・・・・。”
花を咲かせたい。希望の水をまいて。