ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「R&R NEWS MAKER」YOSHII LOVINSON表紙インタヴュー

解散したからこそ、彼は、ここまで潔く語る事ができたのだろう。
そして、12月26日「メカラウロコ15」であの最後の「JAM」を体感したからこそ、
自分は、このインタヴューを心乱される事無く、
静かに受け止める事が出来たのだろうと思う。
以前から「SO YOUNG」は、(THE YELLOW MONKEYの)一つの時代が終わった
その惜別の歌だと感じていたけれど、インタヴュー中に
『「PUNCH DRUNKARD」ファイナルが(イエローモンキーの)ひとつの終わりだと
思っていた』という発言があって、私はあのツアーファイナル「3.10」の映像で
受けた感覚が合っていた事を実感した。
満身創痍で演り遂げたLIVEでTHE YELLOW MONKEYは真っ白に燃え尽きた・・・
そういう風に感じていた。
『その後は長いエンドロール』全速力で走り続けたマシーンは、
動力が切れても全ての動きを停止するまで、2001年1月8日まで
(実質的には、2001年3月一杯位まで)のかなり長い時間を要したんだろう。

2000年3月に吉井和哉が「解散」を切り出した時点で、本当は彼の中では既に
決着が着いていた事実を知らされたけれど、今ようやくストンと納得出来はする
ものの、2000年11月の「活動休止発表」のあの時点では、
私は到底受け入れられなかったろう。
「活動休止」から3年半経ってからの「解散」を時間が掛かり過ぎだとか、
今更、とかいう向きもあるだろうけれど、私にはこの時間が必要だった。
期待を寄せ続けられる吉井の苦しみを薄々察しながらも、待ち続けていたかった。
「未来がある」と信じる事が力だった。
NET上でも延々文章に綴り続けて来た。
その事を後悔はしない。
『あの4人でイエローモンキーだし、イエローモンキーは俺の全てだったから』
そう言い切る彼が、自分の求める音楽に忠実であろうとして、
表現者として誠実であろうとして、一生懸命築き上げて来たTHE YELLOW MONKEY
いう光り輝く宝を壊した。
誰よりもTHE YELLOW MONKEYを愛する男がその決断で自ら負った傷の深さは、
如何ばかりかと思う。
新曲「CALL ME」で
“オレでよけりゃ必要としてくれ
 CALL ME CALL ME
 電話一本でいつでも呼んでくれ
 後悔ないようにしとくぜ”と神に歌い掛けるその意味は、
いつ命の尽きる最後の時が訪れたとしても
「後悔ないように生きたい」という切実な願いだったのだろう。
ドームの「JAM」は、今の4人ではTHE YELLOW MONKEYを演れないのだという事を
厳粛に受け止めざるを得ない切なく哀しいレクイエムだった。
でも、私はあれが「葬式」だったとは今も思えない。
今は、THE YELLOW MONKEY第一幕の幕間だ。
第二幕の幕があがる日がいつか来るんじゃないかと、
勝手にそう思っている。