ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

羽ばたけ

昨日更新されたYOSHII LOVINSONのコラムで
『今の気分は、イエローモンキーでもYOSHII LOVINSONでもない。
俺は 吉井和哉だ。』という箇所から、「もしかしたら今度のLIVEで
イエローモンキーの曲を演るんじゃないか?」と懸念する声が
一部で起こっているようだ。
私は、それは少し飛躍し過ぎではないかと思う。
YOSHIIがTHE YELLOW MONKEY休止後にYOSHII LOVINSONとして活動を開始したのは、あの時THE YELLOW MONKEYだった「吉井和哉」という名前を名乗りたくなかった、THE YELLOW MONKEYではない自分を表現したからだったのだろうと思う。
現に雑誌のインタヴューでも「at the BLACK HOLE」制作時には、
THE YELLOW MONKEYとの違いを懸命に求めていたようだと話してくれている。
けれど、その後「WHITE ROOM」も世に出し、初LIVEも身近に迫った今、
YOSHIIは、もうイエローモンキーやYOSHII LOVINSONという形容詞を
必要としない「吉井和哉」という一人の人間で勝負しようという意識に
立っているのだと思う。
今回のLIVEでは演らないだろうけれど、いずれイエローモンキーの曲を
LIVEでやる可能性もあるとbridgeで示唆していた。
YOSHII LOVINSONのソロLIVEで、THE YELLOW MONKEYの曲を演奏する事は
裏切りだろうか?私は、そうは思わない。
深く愛したあのメンバーではない他の誰かが、THE YELLOW MONKEYの曲を奏で、歌うのを目にしたら、きっと凄く複雑な想いをする事だろう。
けれど曲というものは、演奏され聴かれることで命が繋がっていくものだ
と思うから、そして自分が壊したバンドの曲を万感の想いを籠めてステージで歌うのが吉井和哉という人だと思うから、私はその姿を体感してみたい。

YOSHIIが『翼を隠して生きるのはもうやめた』と言ったその翼は、
私が思うに決して大きく白く優雅な翼ではないだろう。
「私の天使なの♪」などという代物じゃなく、どちらかといえば
二本の腕しか持たない人間達の中で生きなければならない有翼人、
異端であり孤高の存在というような(笑)
「空の青と本当の気持ち」で歌った白と黒の翼・・・そして
「離れるな」で歌った「破れて折れた翼」そう思える。
友が「POENIX」で感じた羽ばたきは、破れ折れてボロボロな翼で懸命に
羽ばたいている様子だと感じると話してくれた。
私もまさしくそう感じる。
私のイメージでは、傷つき疲れ果て命の灯が消えようとしたPOENIXが
炎のような砂塵の中で、懸命に羽ばたいて、その傷つき破れた翼がゆっくりと再生していく瞬間をみているような、そんな情景が目に浮かぶ。
“信じるために 何のために生まれてきたかの意味探るぞ”
『俺は 吉井和哉だ』
彼は、この世に生を受けた意味=音楽家として授けられた才能を世に示すという天命を受け入れたのだ。
吉井和哉がPOENIXの羽ばたきに挑もうとするLIVEに立ち会えるとは、
何て素晴らしい事だろうか!