ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

咲け・・・花

あの大阪城ホールから既に2ヶ月が経とうとしている上に
吉井和哉の夏フェス参加情報が次々に発表されている状況だけれど
あのアンコールの「バラ色の日々」で私が感じた事を
もう一度纏めておこうと思う。


2006年2月28日大阪城ホールでの吉井和哉 TOUR2006『My Foolish Heart』
最終日、一番最後に演奏されたのは、THE YELLOW MONKEY
混迷を続けていた期間に出されたあの「バラ色の日々」だった。
昨年夏に行われた初ソロツアーから約半年、新しく発表されたのは、
ツアー開始当日発売されたシングル「BEAUTIFUL」一枚のみ
という状況ではあったけれど、各主要都市のZEPP会場と武道館2DAYS、
そして最終日大阪城ホール計全国16公演のLIVEは、
昨年のものより格段に吉井自身の歌もパフォーマンスも
そして彼を支える演奏陣も全てがグレードアップされたものになっていた。
「at the BLACK HOLE」と「WHITE ROOM」という2枚のアルバムで、
YOSHII LOVINSON名義で発表された曲と
吉井和哉として新しく第一歩を踏み出した
「BEAUTIFUL」に収められた3曲とを
吉井は、力強く時に穏やかに伸び伸びと表現していた。
あのままLIVEが終了していたら、誰もがツアーファイナルとして
満足するLIVEだった事だろう。
しかし吉井和哉という人は、それだけでは終わらない。
最後の最後に、ドでかいサプライズを仕掛けて来た。
本編中のMC『当日券が800枚残りました。
後悔させるぐらいのLIVEにしましょう!』を聞いて、
THE YELLOW MONKEYのツアーファイナルなら即ソール度アウトだった筈だし、
例え武道館が2DAYSであろうと横浜アリーナ4DAYSであろうと、
「満員御礼」だったろうにと思った。
冗談めかした口調ではあったけれど、かなり悔しかったのだろうと感じた。
けれどあのアンコール最後の選曲は、吉井和哉の単なる
「最終日のお祭り」的な意味合いでは無かったと私は思う。
吉井和哉」ツアーで演奏されるTHE YELLOW MONKEY曲が
ファンにどのような反響を巻き起こすか、吉井は、
多分ある程度覚悟していたのではないかと思う。
『カヴァーやろう!カヴァー。内緒だよ。』と、
確信犯的笑みを浮かべながら歌い出した
“追いかけても 追いかけても”のフレーズは、
大阪城ホール全体を震撼させた。
一瞬の静寂の後、観客の大多数が叫び、泣き崩れ、熱狂した。
「バラ色の日々」を歌う吉井は、とても伸び伸びと
気持ち良さそうに見えた。
傍らでギターを奏でる菊地英昭は、昔のままの華やかな
「エマ」のオーラだった。
ツアー前のインタヴューで、吉井がTHE YELLOW MONKEYを歌う日は、
案外近いのかもしれないとは感じていた。
けれどまさか今回のツアーで、それも最終日の
この最後の最後で演奏されるとは、思ってもみなかった。
ついに吉井は、越えたんだなと、その事が一番大きく響いていた。
だからTHE YELLOW MONKEYの曲があのメンバー以外で演奏されている、
ヴォーカルは吉井でギターはエマでも、ステージで鳴っている音が、
ヒーセのベースや アニーのドラムではないという事実、
キーボードが三国さんじゃないという事、
バーニーさんというギターも鳴っている事を、
全て終わって客電が点いて我に帰るまで
私は全く認識していなかった。
それ程までに吉井和哉の歌う「バラ色の日々」は圧倒的だった。
私が生で聴いた2001年大阪ドーム
“I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE”と
繰り返されたあの時よりも、ずっと力強く艶やかな歌声だった。
THE YELLOW MONKEYだからじゃない、休止期間を経て、
BLACK HOLEを潜り抜け解散を決断して年輪を刻んだ39歳の男が歌う
「勇気と希望の歌」だったからこそ、
魂が震わされたのだ。
今現在の吉井和哉が歌ったことで「バラ色の日々」という曲に、
新たな命が吹き込まれたのだと思う。
今回こうしてTHE YELLOW MONKEY曲の封印が解かれたとはいうものの、
今後のツアーでも吉井がTHE YELLOW MONKEYを歌うだろうかとは
私も疑問に思う。
けれど私は、最高にROCKな曲だと信じる「球根」&「BULB」を
現在の吉井がどう歌うか聴きたい。

『花びらは散っても、花は散らない。』
THE YELLOW MONKEYというバンドは、終わりを迎えたけれど、
THE YELLOW MONKEYが作り出した楽曲、LIVE、
私達が味わった感動、諸々の感情の全て・・・
『THE YELLOW MONKEY』はこれからも生き続けて行く。
『人は去っても、面影は去らない。』
THE YELLOW MONKEYの面影は去らない・・・それだけじゃ淋しい。
曲の命は、歌われてこそ演奏されてこそのものだ。
吉井和哉大阪城ホールだけで、そして菊地英昭
サポートギタリストに迎えた状態で
THE YELLOW MONKEYの「バラ色の日々」を歌った事を
複雑に捉えるファンも多いようだ。
『よくぞ歌ってくれた!』『歌えるようになって良かった。』
『もう聴けないかと思っていた。』等肯定的な意見と共に、
『裏切りだ。』『ヒーセやアニーも見に来ていた武道館でやるべき、
またはやって見せれば良かったのに。』等など。
つくづく感じるが、どうしてこうも吉井和哉という人は、
様々な感情を呼び興す人だろうか。
THE YELLOW MONKEYのファンには、
ファンの数だけのTHE YELLOW MONKEY観が存在しているのだろう。
その時その時のTHE YELLOW MONKEYを愛して来たファンには、
彼らの音楽がそれぞれの人生にまで根を張っていると
云っても言い過ぎではない気がする。
98年10月岡山LIVEで自分の誕生日が近かった吉井が
ファンに正直に気持ちを伝えようとして大反響を巻き起こした
『このツアーは失敗でした。』発言、2000年春『有珠山』発言、
2004年「メカラウロコ15」で一曲のみ演奏した「JAM」での
『ずっと歌っててください』発言・・・
吉井和哉の真意を掴みかねて私達ファンは、どれほど当惑し悩み、
そして答えをようやく手に出来た時に、
どれほど愛を深めて行った事だろう。
THE YELLOW MONKEYに出会えて、吉井和哉という人間の作り出す
音楽に触れる事が出来てファンの醍醐味だ。
おめでたいかもしれないが、他のミュージシャンでは、
中々ここまでの苦痛と快楽は味わえないのじゃないかな。
吉井ドランカーならではの感想だろうけれど。

“世界は粉々になった
でも 希望の水を 僕は撒いて”  (球根)

“夜が終わりを告げれば 
俺達が何をしてきたかわかるだろう
子宮の中の胎児のように 太陽を待っている花のように
塩水を与えられれば そこから何が生まれるだろう?俺達に・・・”  
(BULB・訳詩)

これらの曲に、もう一度命を与えて欲しい。
吉井和哉菊地英昭廣瀬洋一菊地英二
四人が健康で音楽生活を続けていくなら、
どれだけ時間が掛かろうと、いつかまたきっと四人が一緒に
音楽を作り始める日が来るものと私は、信じている。
大阪城で吉井は、“I'M JUST A DREAMER ARE YOU A BELIEVER?
ARE YOU A BELIEVER?”と歌い掛けていた。
私は、胸を張って答える。
I'M JUST A DREAMERでありBELIEVERだ。