ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

生きて愛して

音楽と人」9月号に「シュレッダー」歌詞の一部が紹介されていた。
『神様にあったらこんな風に言うんだ
“どんな目にあっても 生きていたいです”
 誰も皆やっぱり同じように辛いって』

『生きていたいです』のところで、
SLAM DUNK三井寿の有名な台詞『安西先生…バスケがしたいです』を
思い浮かべた。
中学MVPに選ばれる程の才能に溢れた三井寿が挫折を味わい、
自暴自棄に陥り、かつてのチームメイトの所属する高校バスケ部を
潰そうとするも返り討ちにあい血だらけになりながらも、
恩師安西先生に「バスケがしたいです」と真情を顕わにするあの場面は、
名シーン揃いのあの漫画の中でも、一番印象に残っている。
一旦は、諦め、自ら壊そうとまでした夢を、
それでもどうしても手放せない熱い想い・・・。
この「シュレッダー」にかけようとしているのは、
単に男女の愛なのではなく、
吉井和哉という人が最愛のバンドへ抱いていた夢や希望や熱情や、
音楽への理想、そういう気持ち全部を含んでいるのではないかと
感じている。
『夢鎮めた 永遠に消えた
 やり直せなくて
 空見合った ただ見合った
 楽しかった あの日は
 背中のシュレッダーにかけ』

粉々に引き裂こうとシュレッダーにかけようとも
シュレッダーから出てくるのは、やはり紛う事無く「吉井和哉」という
自我の塊。

2年間のブランクを持つ故にスタミナに大きな不安を持ち、
人間的弱さ、精神的な脆さを抱え、それでも自分を鼓舞し、
何度でも甦ろうと命を燃やす三井寿の姿に被るように、
沢山の挫折や苦悩を乗り越え、というか、今現在も、
幾つもの波に揉まれながら、ひたすら泳ぎ続けている
吉井和哉という男の生き様がこの歌に込められているように
私には思えた。
自分の生をひたむきに生きる男が他者へ向ける静かで優しい眼差し、
愛欲ではなく慈愛の「愛」へ育っていく温もりを感じた。
「生きる」ということと「愛」ということの意味を
改めて考えた。

谷川俊太郎 の「あい」と「生きる」という詩が沁みた。