ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「SO YOUNG」

昨日行われた『THANX! ELL 30th ANNIVERSARY・フラワーカンパニーズ追加公演』に
オープニングアクトとして登場した吉井和哉は、ピアノの鶴谷崇さんの伴奏で
「TALI」「シュレッダー」「バッカ」「SO YOUNG」のアコースティックヴァージョンを
披露したそうだ。
夕方吉井がモバBBSに、
『今日は鶴ちゃんと「アコースティックライブ」を“かましてきます!”』なんて
書き込んでいたから「TALI」は、あるんじゃないかと思っていた。
けれどまさか「SO YOUNG」とは、予想もつかなかった。
大阪城ホール「バラ色の日々」以来の衝撃だ。
私にとっては、吉井和哉がソロで「JAM」を歌うこと以上に大きい。
何故なら「JAM」は、THE YELLOW MONKEYの代表曲と言っていいほどに
大きな曲だとは思うけれど、その歌われた世界は、一個人ともいうべき
ひとの孤独、愛を求める想いの強さというものが主題だと私は感じている。
それに対して、「SO YOUNG」は、あの過酷なパンチドランカーツアーで
生み出された曲であり、あのツアー最終日「3.10横浜アリーナ」で
演奏された壮絶な印象が強かったからだ。
だからこそ「SO YOUNG」は、THE YELLOW MONKEYそのもののように
私は、これまで思って来た。
THE YELLOW MONKEYの正式な終わりの日は、2004年7月7日だったけれど、
THE YELLOW MONKEYの実質的な最終公演は、2001年1月8日だったけれど、
1989年産声を上げたTHE YELLOW MONKEYの炎が最後に大きく燃え上がったのは、
この1999年3月10日横浜アリーナの「SO YOUNG」だと思う。
“終わりのない青春
 それを選んで絶望の波にのまれても
 ひたすら泳いでたどりつけば
 また何か覚えるだろう”

「終わりのない青春」と歌われてはいても、これが
THE YELLOW MONKEYの終わりの歌だったのだと感じる。
しばらく休んだ後のプロデューサーシリーズから
スプリングツアー、夏フェス、「8」リリース、そして
大阪ドームと東京ドームでの「メカラウロコ8」までの道のりは、
あれはきっと高速で回転し続けていたTHE YELLOW MONKEYという強大な
エネルギー体が回転を止めようとしても止められずに
空中分解しない為にゆっくりと止まるために必要な緩衝帯、
余韻のように感じられる。
殯(もがり)という言葉が浮かんで来て仕舞った。
私には、そんなイメージだ。

「SO YOUNG」を歌い切った後、メンバーが肩を組んで大観衆をバックに
撮ったあの記念写真を後に吉井は、「遺影」だと表現した。
吉井和哉自身にとっても「SO YOUNG」は、大きな意味を持つ曲である筈だ。
その曲を、ソロで、ピアノだけをバックに歌ったなんてなあ。
インディーズの頃からとても世話になったライブハウスのオーナーの方に
感謝の意を表する為?30周年のお祝いに「終わりのない青春」を?
吉井の意図したところは、私には、想像することさえ出来ない。
けれどもし、12月28日の吉井武道館で、「SO YOUNG」のあのイントロが
流れ始めたら私は、どうなるだろう。
立っていられないかもしれない。歓喜の涙を流すだろうか。
エマのあのギターソロを死ぬ程恋しいと涙を流すだろうか。
その時私が、たとえどんなに涙を流していようとも、
吉井和哉には、彼が選んだ“好きな歌を”歌っていて欲しい。