ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

暁に果てるまで !

三島由紀夫の「豊饒の海」を薦められて読んだ。
*「春の雪」巻末後註には、
豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、
因みにその題名は、月の海のひとつのラテン語名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。

書かれている。
初期構想では「第一巻『春の雪』は王朝風の恋愛小説で、
言はば『たおやめぶり』あるひは『和魂』の小説、第二巻『奔馬』は檄越な行動小説で、
ますらおぶり』あるひは『荒魂』の小説、第三巻『暁の寺』は
エキゾチックな色彩的な心理小説で、いはば『奇魂』、第四巻『天人五衰』は
それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取り込んだ追跡小説で、
『幸魂』へみちびかれてゆくもの、といふ風に配列」
(「『豊饒の海』について」)することを考えていた。』

のだそうだ。
侯爵家の子息清顕と伯爵家の令嬢聡子の命を賭ける程に激しく儚い恋の行方・・・
清顕の親友本田は、ある時20歳で命を落とした清顕が転生した少年飯沼勲に出会う。
勲は、純粋な情熱に突き動かされ、最終的にはやはり20歳で死に到るのだけれど、
≪『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、
けだかい松の樹陰もなく、かがやく海もない』と勲は思った。・・・・・・
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。≫

まだ日の光は見えない暗闇ではあるけれども、勲は、死の瞬間、
確かに輝く太陽を視る事が出来た。


『暁に果てるまで 悲しきASIAN BOY!』
雄々しく高らかに叫ぶ吉井和哉の声が響いてくるような気がした。


第三巻『暁の寺』において、主人公の魂は、タイの王女ジン・ジャンとして
本田の前に現われていた。
『われわれが我執にとらわれて考える実体としての自我も、
われわれが死後に続くと考える霊魂も、
一切諸法を生ずる阿頼耶識から生じたもの』
『輪廻転生を惹き起す業の本体は、「思」すなわち意志である。』
『来世はただ今世の連続であり、この世と一つながりで
つづいてゆく終夜の灯明の火が生なのであった。』
『愛憎や怨念はどこへ行くのだろう。
熱帯の雲の翳りや激しい礫のようなしゅう雨はどこへ消えるのだろう。』

ジン・ジャンもまた20歳に為った春に突然命を喪う。
第四巻『天人五衰』で老いた本田は、転生の少年と思しき安永透を養子に迎え
育てるが、ある時自尊心を打ち砕かれた透は、服毒自殺を図り
本当の転生者ではなかった事が明らかになる。
60年振りにようやく月修寺を訪ねた本田は、御門跡たる聡子に対面する。
だが彼女の口から発せられたのは、想像を絶する言葉だった。
松枝清顕という名前をきいたこともないのだという。
『記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、
それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに』
『それも心々ですさかい』

何とまあ凄まじい衝撃であろうか。
聡子が『つややかな肌が静かに照るようで、目の美しさもいよいよ澄み、
蒼古なほど内に輝うものがあって』というほどに清らかに美しくあれるのは、
命を燃やし愛した記憶も想いも全て浄化して仕舞ったからだろうか。
これが聡子にとってのニルヴァーナ(涅槃)なのだろうか。
だとすれば、心の平安がどんなに静謐で美しいとしても、
私は、THE YELLOW MONKEY吉井和哉を想うこの想いを喪いたくはない。
どんなに浅ましく愚かしい想いであると謗られようと。