モバイルサイトで今日更新された「吉井和哉への質問」で、
『ファンに望む一番の事は?』への回答は、
『幸せになって欲しいです。そのBGMとして
吉井和哉の音楽が鳴っているとしたら、自分も
本当に幸せです。』だった。
以前も「ファンの幸せを望む」という発言をしていて、
その時私は、アーティストがファンの幸せを願うなんて
そこまでしてくれなくても良いのに、などと
少々違和感を感じて仕舞っていた。
吉井和哉のファンである筈の私が吉井和哉に望む第一番は、
「音楽を続けて欲しい」という事だ。
「吉井和哉の幸せ」をちゃんと願ったりした事は、ない。
薄情だよね。今日の吉井和哉の回答を目にして反省した。
ファン達が幸せを感じる場面があって、
その時流れているのは、吉井和哉の音楽だったとしたら
それが吉井和哉も「本当に幸せ」であるという事・・・
今日の言葉は、素直に心に沁みて来た。
吉井和哉という人は、私などが感じていた以上に
懐豊かに大きな存在になっているのだねえ。
『ファンとはどういうモノか?』との問いに、
『本当に大切に思ってます。ですが、
来るものは拒まず、去る者は追わずです。昔から。』という回答も
印象深かった。
相当自信がなきゃ言えない台詞だよね。
『吉井和哉のどこがいいんですか?』への
私の答えは、「吉井和哉という存在そのものが愛の迷宮」だからだ。
抜け出す事など不可能な、けれど迷宮探査は、
この上なく刺激的でめくるめく興奮の連続!
吉井和哉探究が私の幸せです。
ですから、どうぞ吉井和哉の生を楽しんで下さい!