ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

bridge WINTER 2009

bridge (ブリッジ) 2009年 03月号 [雑誌]

bridge (ブリッジ) 2009年 03月号 [雑誌]

渋谷陽一氏が今まで私が抱き続けて来た疑問を
全て解き明かして下さった!
98年春アルバム「PUNCH DRUNKARD」発売時インタヴューで
初めて感じた吉井和哉の孤独と苦悩の翳というものが
一体何だったのか、その時はまだほんの僅かにしか
感じ取れていなかったものが実は、どれ程までに大きかったのかという事が
今更ながらに実感出来た。
『何故、吉井和哉は、海外でレコーディングしたがるのか』
『何故、アメリカ人と対等にバンドで遣りたいのか』
やはりあの97年の第一回フジロックだったのだね。
THE YELLOW MONKEYというバンド名が象徴とするように
日本人であり、イミテ―ションとしてのロックをやっているのだという
潜在的な意識がフジロックで、吉井和哉のロックが否定されて仕舞った。
根拠を失って仕舞った。』
その衝撃の凄まじさは、どれ程のものだったろう。
そこから始まった吉井和哉の孤独な闘いの苛酷さを思うと
本当に胸が苦しく為る思いがする。
《偶然と才能で鳴っている》『吉井和哉のロック』を
《必然と自分自身の努力で鳴らすという方向に大転回を》
『ロックの神様に命じられた』!
正に青天の霹靂だったろうと思うし、当時の吉井和哉にとっては、
生きる根拠さえ失くしかねない恐怖だったろうと思う。
長かったですよねえ。
やっとこの『本来立つべきステージに』到達したのですねえ!
渋谷さんのこの言葉を目にして、涙して仕舞った(^_^;)
吉井和哉アメリカに行くのは、自分がロックをやっている根拠を
確認し、そして認めさせる為』なのね。
渋谷さんも仰っているけれど、本当に吉井和哉という人は、
『常に揺れ動いている』んだね。
『「ロックなんて歌謡曲さ」っていうのと、
「でも、でも俺のロックは本物だぜ!」っていうのの間で』
そして
『「誰よりも自分は本物だ」という自信と、
「でも違うんじゃないかという恐怖心」の両方に振れて行く』
天秤座だものね。振れてなんぼだもの。
触れ続けることでバランスを取る定めだもの。
山下達郎さんにデモテープを聴いて貰った時に、
『これ、アメリカ行ってレコーディングしなくていいよ。
このまま出せ!』って言われたという箇所が面白かった。
渋谷さんも仰ってるけれど、
『確認しに行ってるんだ。ジョシュに背中を叩いて貰いに行ってる』のだね。
まだもうちょっとそれが必要なのだろね。
また「脳梗塞か?」が始まったらマズイもの。
でもきっとそのうちジョシュに背中を叩いて貰わなくても
大丈夫に為る日が来ると思う♪
その日を楽しみにしてる。

フジロックに限らずいろんな人への言葉は悪いけど
復讐はあるのかもしれない。ま、そんな歌詞ばっかりだから、次のアルバムは。』
という箇所に注目した。
復讐というよりは、決着を着けたかったのかなあと感じた。
『ブルースとサイケデリックの融合』とか、
ツアータイトルが『世界』から『宇宙一周旅行』へとスケールアップ
しているのだとか、物凄く煽り過ぎ過ぎだ!
早く聴かせて欲しい☆