吉井和哉「VOLT」について書かれたブログで
『吉井さんにとって、富士山は家族のいる場所ではなく、
少年時代に静岡から眺めた単なる日本一の山に
なってしまったのでしょう。』という文章に出逢った。
私は、それは違うと思う。
「VOLT」ジャケットに映し出されたあの富士山は、
吉井和哉の原点を顕すものだろう。
油絵のあのかさぶたのような色の重なりに心惹かれて
お小遣いで油絵の道具を揃え、画材屋さんのおじさんに
手ほどきを受けて懸命にキャンバスに描いたあの日々の自分、
自分の部屋が欲しくて懐中電灯を手に押入れに篭り
「宇宙」を感じた自分、「ヒラノくんち」でロックの
電撃を浴びたこと、家出同然に東京へ旅立ったこと、
THE YELLOW MONKEYという支えを失って富士山の麓に
移り住んだこと、たった数か月で独り東京へ舞い戻ったこと、
小学六年生で描いたその富士山の絵をずっと
自分の部屋に飾り続けていた母親のこと、
39歳にして初めて幼い日の淋しさを母親にぶつけ、
そして受け入れて貰えた和解の日、
吉井和哉の血を受け継ぐ命達、その子らを産み育てる女性のこと、
吉井和哉は、現在の自分を形作って来た全てを
「富士山の絵」に託したのだろうと私は、思う。
静岡のお母様もそして山梨に住まうご家族も
それぞれ「富士山」の象徴だろう。
このブロガーの方が仰るような「白々しい」「逆説的な」モチーフ
ではないと信じている。
私は、伊達に「BELIEVER」と名乗っている訳では無いつもりです♪