ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

どこまでも続くのさ

こういうことを書いちゃうと、また「偉そうに」だとか、
「お前は、何も判っちゃいない」と批判も受けたりするのだろうけれど、
本当の気持ちを書かずしてどうする。書いちゃおう。
2009年12月28日武道館で吉井和哉は、
「FINAL COUNTDOWN」の途中で
『・・・これからも知る人ぞ知るで構わないので、
君たちの魂に届く曲を作りたいと思います! 
俺にしか作れない曲を絶対作りたいと思います!』と
宣言していた。
「私達の魂に届く曲、吉井和哉にしか作れない曲」
その事は、もう間違いなく確信している。
けれど、『知る人ぞ知るで構わない』という言葉に、
私は、淋しいと思って仕舞った。
たとえ謙遜だとしてもそんな弱気なフレーズは、
吉井和哉の口から聞きたくはないのだ。
思い立って、THE YELLOW MONKEY時代のファンクラブ会報を
引っ張り出してみた。
「Petticoat Lane Vol.12」1995年5月末発行のこの会報の中で
LOVIN(吉井和哉)は、『「解る人に解ればいい」という
フレーズは大っキライです。ただの逃げです。
今は深くそう思います。もっとたくさんの人がこのバンドを
愛してくれるはずです。死ぬ程、死んでもいいくらいの
曲を作ります。まだ世界を制覇した日本のバンドはいないのです。』と
「今後の野望」を述べていた。
15年前の吉井和哉。若かったから?
そうじゃないと思う。
「解る人に解ればいい」では、ダメだ。
「知る人ぞ知る」で満足しちゃダメだ。
力のある曲は、きっとファン以外の人々にも届く。
YOSHII LOVINSONの「CALL ME」は、それが吉井和哉だとは知らない
一般にも浸透した。
「BELIEVE 」がシングルカットされていたら、
もっと大勢に届いていただろうと私は、思う。
意に染まぬ露出や活動をして欲しいというのでは無い。
けれど、もっともっと、まだ吉井和哉に出逢っていない人達へも
届くように、裾野を広げる活動をして欲しいと思っている。
だから、5月にロッキンオン主催の新しいフェス「JAPAN JAM2010」へ
出演が決まった事は、とても喜ばしい。
私自身は、とても行けそうにないけれど、2010年の吉井和哉
このイベントに、どのように臨んで来るのか非常に楽しみだ。
新しい風を興して欲しい。