ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

「母いすゞ」の世界

2012年新年初の「吉井和哉への質問」回答に、
「母いすゞ」長女に関するものがあった。
Q.母いすゞの長男の部屋は物置に、
次女とは会話が無い、
父ジャンとは音沙汰が無い・・・
次女ということは長女がいるはずですが、
長女の描写がありません。
これは長女の目線から見たお話ですか?
長女はどうされてますか?

A.果物にたかる蠅追っ払って
がヒントかもしれませんよ

この「母いすゞ」が発表された頃、
ちょうど我が家の長女が結婚間近だったので、
当然のように「母いすゞ」の長女も嫁いでいるか、
自立して平穏に暮らしているのだろうと思い込んでいた。
それが、『果物にたかる蠅』とは!
これは、熟しすぎて蠅がたかる程まで置かれたままの果物、
仏壇に供えられているという事なのだろうと思う。
それでも、この「母いすゞ」は、最後の歌詞の
『母いすゞは 強かった』で表されているように、
過去形=母いすゞは既に他界しているのだろうし、
この歌は、「母いすゞ」の暮らし振りを見守っている第三者
視点で歌われているのだと感じる。
そうだとするとやっぱりこれは、肉体は滅びても、
まだ精神がこの「母いすゞ」の元に留まっている長女の視点
なのかなあと思ってしまう。
病気でだったらまだいいが。自ら命を絶ったなら辛すぎる。
子供を亡くすだけでもどれ程の悲しみかと思うのに、
自殺で我が子を見送らなくてはならぬなど、絶望の極みだ。
『港町』
『かれこれもう十何年と音沙汰がない 父ジャンとは 』から
女好きのイタリア人船乗りジャンは、日本の港町でいすゞ
恋に落ち子供三人もうけるけれど、悪い虫が騒いで
どこかへ旅立ったまま音信不通。
(でもいすゞ母さんは、いつかまたふらっと戻ってくるのではと
淡く願っている。)
『一度でも愛した人のこと けなすもんじゃないよ』
これは「母いすゞ」自身の矜持とも為っているのだろう。

いすゞ」という名前から、昭和の中程の時代だと連想されるので、
その頃はまだ外国人とのハーフへの偏見も酷かった筈。
という事で、子供達もそれぞれイジメや差別を受けただろう。
その結果、子供達の「母いすゞ」への反発も大きかったろう。
それでも「母いすゞ」は、今日も、
家を出て行ったまま何年も経つ長男の身を案じている。
多分ろくに口も聞いてくれない次女の為に、
光る煮芋を作りサンマを焼く。いつもと変わりなく。
いすゞ」は、港の荷上げの手伝いで手間賃を貰う。
『エンヤー船が出た エンヤー水揚げだ』
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を思う。
北島三郎の「与作」゛ヘイヘイホー”もよぎる。
日本人の原点の温もりと力強さを感じる。
辛い事、哀しい事、切ない事、いっぱいあるけど、
そればっかりじゃないよ。
強くあろうね!
そういう歌だと思う。