ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

続・ 「煩悩コントロール」考(極私的)

前回、「煩悩コントロール」について、
神が紡ぐ様々なシナリオ、人間とロボットの命とは何か、
人間の心と魂とは、ということを考えた。
けれど「青い龍との約束」とは何かが謎だった。
何を『最後にする』と言うのだろう。
「煩悩コントロール」を何度も聴くうちに、
『僕らはまた出逢った』
『青い龍が空を駆け抜け僕に約束させる 』
『「これでもう最後にするならいい」  さあ』
『なぜ急いでここから出たいんだ』 

「輪廻」ではないかと思う。
「僕」は、「輪廻」の輪の中にいるのではないかと思う。
仏教において、

天道(てんどう)人間より優れた存在の天人が住む世界。
 苦しみが少なく空を飛び、享楽の内に生涯を過ごすが、
煩悩から解き放たれてはいない。
人間道(にんげんどう)人間が住む世界。
 四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、楽しみもある。
修羅道(しゅらどう)阿修羅の住む世界。
 終始戦い争う、苦しみや怒りの絶えない世界だが、苦しみは自らに
 帰結することが大きい。
畜生道(ちくしょうどう)牛馬など畜生の世界。
 ほとんど本能で生きる、救いの少ない世界。
餓鬼道(がきどう)餓鬼の世界。激しい飢えと渇きに悩まされる。
地獄道(じごくどう)罪を償わせるための世界。
 迷いあるものが、この六道(りくどう・ろくどう)を輪廻するとされる。
六道輪廻(あらゆる生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返す)という。


仏教では、輪廻を死後におもむく世界ではなく、
心の状態として捉えるのだそうだ。
そして、この六道に迷える人間を救うのが、
観世音菩薩だ。
観世音菩薩は、龍上観音、あるいは、龍騎観音というように
龍に乗った姿で現すことが多いけれど、
龍そのものを観音の化身とする例もあるらしい。
だとすれば、「青い龍」は、輪廻の輪の中で藻掻く「僕」を
救うのではなかろうか。
「これで最後にする」事を条件に。
永遠に繰り返される、誰かの描いたシナリオ通りの「生」ではなく、
リセットされてまた新しくプレイされる「命」ではない、
ただこの「今」を生きる「僕」だけの「命」の記録。
この「命」の記録を刻み付けるのは、あくまでも
「僕」自身であるという強い決意と誇りというものが、
最後の『僕の全てはコントロールできないよ』に
現れているのだろうと思う。