ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

空の青と本当の気持ちを君に見てほしくて

かれこれもう16年私は、吉井和哉の書いた文章や
インタビュー記事や発言やらをこの目で見て来た。
昨日441108.comでUPされたコラム記事で初めて
「見なければ良かった」と思って仕舞った。
これからここで述べる事は、もし本人が目にする機会があったなら、
さぞ気分が良くないであろうし、これ以降私がどんな記事を書こうと、
読んで貰えなくなる可能性だってあるだろう。
それは、とても淋しいだろうとは思うけれど、
ずっと吉井和哉への思いを綴ってきたこの場所で、
本当の気持ちを残しておかなくてどうする!
ありのままに書くことが「ファンとしての誠意」でもある、
と思い直した。
「タバコ」と題された2012.10.12の記事、
あれを載せた意図は、一体何だったのだろう?
『近頃またたまに情緒不安定が激しくなる
もう前向きでいたいから必死で無視してるけど
幸せになってはいけない?
でも
幸せなくせに不幸を装うのはもっといけない
はあ…
釣りがしたい(←そこかよ)』
情緒不安定だと仰っている方へ、辛辣な言葉を
投げ掛ける私は、酷い人間だろうか。
けれど、吉井和哉ファン限定サイトで『幸せになってはいけない?』と
問うのは、どうなのだろう?
大体において、「吉井和哉の幸せ」って何?
「吉井一哉としての幸せ」ならば、
問うべき対象は違うだろうに。
私はこの春までは間違いなく、
ほうれい線が深く刻まれようと眉が薄くなろうと、
顔がパンパンだろうと、現在進行形の吉井和哉が好きと断言出来た。
けれど昨日のコラムは、あの顎マスク姿よりも、
ゴミ出し侍よりも格好悪いと思って仕舞った。
「バッカ」が発売されて、あのMVを見た時、
「どこでも、どこまででも行けるという特別な切符」を渡された吉井和哉は、
「あらゆるひとのいちばんの幸福」を求める果てしない旅をゆく
という使命を与えられたのだと思った。
音楽の神に与えられた天命を自覚して、
音楽を貫いていく、歌っていくということこそが
吉井和哉の幸福なのかと感じていた。
違っていたのだろうかねえ。
それでも、吉井和哉としてであろうが、吉井一哉としてであろうが、
幸せでいて欲しい。不幸を願う筈がない。
ファンを何だと思っているんですか!?
と、憤りを感じていたところへ、今度は、ピンク文字。
かねて噂になっていた12月28日の件だ。
再結成はない。
年末の武道館については、「大人の事情」で、
もう少しで発表されると。
ずっとモヤモヤしていたからはっきり否定してくれたのは、
ありがたかったかな。
けれど、
『「伝説」ではなくなってしまうかな』!?
常々思っているけれど、「伝説」なんてものは、
50年100年先の人々が判断するものじゃないのかしら?
「やりたいかやりたくないか」だけではないの?
『万が一いつか再結成しなければいけなくなったら』!?
私は、この言葉に血が逆流するかと感じた。
ファンの気持ちを逆撫でするな!と思った。
誰が無理矢理THE YELLOW MONKEYを再結成させると言うのだろう。
もう少し言葉を選んで欲しい。
ファンを動揺させないで欲しい。
鬱陶しいファンで申し訳ないけれど、
ライトファンは、次々に活きのいい若い新しい対象へ
移って行くのだろうと思う。
年季の入ったオールドファンが離れてしまう未来も
寂しかろう。
心身とも充分ケアして、私達に圧倒的なLIVEを魅せつけて下さい!
どうぞ来年、ソロ吉井和哉10周年の年が
賑やかしいものと為りますように☆