ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

『スタジオが燃えている ロック・バンドのディレクター』宗清裕之

全336ページ中、第4章の「イエロー・モンキー」は101ページと3分の1を占めている。
宗清さんがコロンビアレコードでトライアドレーベルへ所属する経緯から始まって、
イエロー・モンキーの「Bunched Birth」カセットを聴いたのが初めての出逢い。
大宮フリークスでの対バンライブで衝撃を受け、即獲得を心に決めたという下りに、
1991年のあのTHE YELLOW MONEYの面々のLIVEが
荒削りながら眩い程のオーラを放つ若々しいメンバー達の出で立ちや音や興奮が
読んでいる私にも感じられるように思えた。
デビューアルバム「THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE
(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)」レコーディングの状況。
メンバーの凄まじいこだわりとそれを極力実現してくれようとする
宗清さんの心配りがあったことを知った。
文中にも書かれていたけれど、THE YELLOW MONKEYがトライアドを離れてから
出された「TRIAD YEARS」に付録されていた宗清さんの解説パンフレットは、
当時の私のバイブルだった。
CDを聴きながら宗清さんの一曲毎の解説を読み、歌詞を嚙み締める、
本当に贅沢な時間だったと懐かしく思い出す。
1stアルバム、2ndアルバムと思うほど伸びず、
周囲の圧もある中で、当時の吉井和哉が開き直ったかのように、
コンセプトアルバム「jaguar hard pain1944-1994」を作り
LIVEの動員も増えて行った下りは、凄くワクワクした。
雑誌でもよく語られていた「中野の喫茶店での重要な話し合い」の詳細。
それがTHE YELLOW MONKEYというバンドにとって大きな転機と為ったのだろうと思う。
私は、アルバム「SICKS」や「jaguar hard pain1944-1994」「8」
「FOUR SEAZONS」が大好きで正直「smile」にはあまり思い入れがないのだけれど、
それでも「Love Communication」はポップで力のある曲だと思う。
吉井和哉を叱咤激励してあの曲を産み出させてくれた宗清さんはじめトライアドの方々に感謝!
そして「JAM」発売までの道のりの困難さ。
「JAM」の歌詞については、私も長年宗清さんと同意見だ。
何故世の中の人があの「乗客に日本人はいませんでした」ばかり取り上げるのか疑問でならない。
歌の主題は「こんな夜は逢いたくて・・・・・・君に逢いたくて また明日をを待っている」なのにね。
移籍については、宗清さんがこの本を書くに当たって
過去を総括して一つの答えを得られたそうで良かったと思う。
生れたての雛が大きくて力強い親鳥から、沢山の指導や経験や愛を与えられ成長し、
そして自らの新天地を目指し巣立った。そういう道のりだったのだと思う。
THE YELLOW MONKEYデビューからレコード会社移籍までの
激動の時代を共に駆け抜けた宗清裕之さん、
こうして歴史を綴って本にして下さって感謝します。