ROMANTIST TASTE

この羽よりも軽いもの?

“ここ こきょう 見棄てられた夢よ”

「VOLT」発売までが長過ぎて、「聴きたいのに聴けない」という
フラストレーションが溜まっている所為だと思う。
雑誌インタヴューで語られる「VOLT」の曲達を語る
吉井和哉やインタヴュアー達の言葉が、もどかしくて
気に為って堪らないからだろう。
JAPANで語られていた、吉井和哉がひたすらHAPPYなレコーディング
だったという「VOLT」の音を自分がしっかり受け止められなかったら?
という不安に、勝手に追い詰められた気分に為っている所為かもしれない。
けれど、正直思って仕舞った。
「今年の夏、ジョシュ・フリーズやジュリアン・コリエル、
そして吉井和哉が素晴らしいと思うベース・プレーヤーやキーボーディストに
来て貰って、夏フェス出れば良いじゃないのと。
ハッキリ言っちゃえば、どれだけお金を掛けてだって、
フジロックへ出して貰えば良いじゃないの。
そうしたらキッチリ、カタを付ける事が出来るのじゃないかと思った。
でも私が芯から思うのは、それでは本当の解決ではないと思う。
THE YELLOW MONKEYの4人でなくては駄目だと思う。
時を重ねて経験を積んだ彼らが再び同じ夢を見る事が出来るように為った時、
またそこから新しい音楽を作り出せる状況が整った時、
それを世界に発信しようと決意出来た時、
その時初めて「フジロックのトラウマ」を克服する事が出来るのだろうと思う。
けれど、JAPANで『バンド』を強調している吉井和哉の言葉を
目にしていたら、どうにもこうにも何とも言えない気持ちに為った。
殆ど全部吉井和哉自身がギターを弾いて歌って、JOSH FREESEがドラムを叩き、
CHRIS CHANEYがベースを奏で、PATRICK SANSONがキーボードを弾く。
確かに「バンド感」なのだろうが、本当は、勿論「吉井和哉」のソロアルバム
であって、バンドでは無い。(山崎洋一郎氏も仰っていたけれど)
その辺のところを吉井和哉本人は、どう捉えているのだろう。
たとえ「架空のバンド」であろうとも、思い通りの音が得られて
満足なのだろうかなあ。
私は、その音をどう受け止めるのだろう。
山崎洋一郎氏や井上貴子女史が『最高級のロック』『大人のロック・アルバム』と
評しておられるけれども、私のアンテナは、どう反応すのだろう。
ここ何日か私は、第二次「友川かずき」ブームが来ていて、
「生きてるって言ってみろ」や「一切合財世も末だ」をヘビロテしている。
彼の歌に凄まじいマグマを感じている。
こういう嗜好の私が、吉井和哉の「VOLT」の電撃を感じる事が出来るのだろうか。